偶然の出来事を“チャンス”と捉える事ができるか
目的や目標は決めなくていい。自身の経験から導き出された“ゆるい”キャリア論。
派遣社員から縁あってプロトソリューションに入社。
入社後は異例のスピードで部署の責任者に就任し、その後は子会社の取締役となる。
目まぐるしく変化する世の中でキャリア設計が困難な今、
偶然の要素を味方につけキャリアを作る『プランドハップンスタンス理論』を
先駆けて実践してきた島袋さんにインタビュー。
目的や目標はない。将来よりも今、好きなことやりたい
ーーー学生時代は何をされていましたか?
中学から高校までハンドボール部に所属していて、進学しても続けたいという思いがあったのでスポーツ推薦で大阪の大学へ入学しました。
当時僕が通っていた高校では「ハンドボール部を継続するなら県外の大学へ行く」みたいな流れがあったのと、将来何になりたいという目的もなかったので、僕もそれに乗っかったという感じです。
一応、社会学部を専攻していたんですが、ぶっちゃけ社会学部で何かを学んだというのはないです(笑)。とにかく大好きなハンドボールを4年間本気でやっていましたね。
ーーーハンドボールで得たことはありましたか?
チームワークの大切さを学びました。
同じ情報を共有し合いながら皆で一丸となって練習に取り組むことで、「一緒に頑張っている」という一体感をハンドボールで得ることが出来たのは僕にとって貴重な経験でした。
実際、全国のインターカレッジではベスト8のチームでしたし、練習も鬼のような内容でしたので、そんな中で熱を入れて取り組む仲間同士の結束力は高かったです。
そういったことから、チームワークの大事さや必要性は、間違いなく仕事をする上でも自身のマインドとして活きています。
緊張感の薄い就職活動。不採用が続くなかで拾ってくれたのは。。
ーーー就職活動も大阪でしたか?
はい。大阪で就職活動をしました。ただ、相変わらず将来何をしたいという目的もなく、「とりあえず就職」という気持ちでしたね。いくつか説明会にエントリーはするものの、僕の住んでいた場所(大阪でも田舎のところ)から都会へ行くのも遠くて、結局説明会に行かなかったりで…。そんな中、メンズ専用のエステティックサロンへ説明会に行った時のこと、会場で男性は僕一人。「あれ?」と思って会社名を確認すると、女性用のサロンに来ていたという恥ずかしい思いをした経験があります。今思うとかなり危機感のない就職活動をしていました(笑)。
ーーーそれはフォローできないくらいヤバいですね(笑)
そうなんです。当時大阪には、僕以外にも沖縄から進学に来ているメンバーがいましたが、沖縄に戻って就職活動をする人が多く、結局僕も沖縄で探すことにしたんですよね。流されるまま目的も目標も持たずに戻ってきた感じです。
当時はリーマンショックで就職が厳しい時代で、沖縄県内の有名企業は早い段階で応募も締め切られていて…。とにかく手当たり次第にエントリーしましたがどれも不採用。そんな中、唯一僕を拾ってくれたのが、保険の商材を売る保険会社でした。
これが僕の社会人一年目になります。
ーーー初めての社会人はどうでしたか?
入社してすぐの研修期間は同期も大勢いたので楽しかったですね。ただそれも初めだけで、2ヶ月後に現場配属されてからは大変でした。
営業に繋げる保険資料1つも上手く送れなかったですし、やっと営業をかけられる段階まできても相手に話を聞いてもらえなかったり、上手くいかないことばかりでした。そんな僕と違って周りの同僚は結果を出していたので、毎日がしんどかったですね。
それからチーム異動を経て、そこの上司から細かく仕事を教えてもらってからは、保険の契約が取れるようになりました。そこで初めて社会人として「社会に貢献できている」と感じたんですよ。
本気になったことで感じた“想い”からの退職。そして、偶然の出会いからの転職
しばらく保険会社勤務を続けているうちに、僕の中である変化が訪れました。保険を売るという仕事が自分に合っていないと思い始めたんです。というのも、僕の扱っていた商材は「死亡保険」や「医療保険」といった万が一に備えての商材。亡くなった時のことをお年寄りへ説明することを、当時の僕は「ネガティブ」に捉えてしまっていて…。何だかお年寄りに保険を勧めることが嫌になってきたんですよね。
そこから保険会社を退職したんですが、相変わらずやりたいこともないし、スキルもない。それならば「やりたいことが見つかるまで色んな会社を見てみよう」と思い、派遣会社に登録することに。そこからコールセンター会社へ派遣として勤務することになります。
実は初めて派遣として働いたのがプロトソリューションだったんですよ(笑)。
ーーー何だか運命を感じます
当時はプロトデータセンター(現・プロトソリューション)という社名で、データ入力がメインでした。ビルも新しくてピカピカで、僕と同世代くらいの管理者がバリバリ働いていて「かっこいいなー」という憧れはありましたね。
僕はそこで派遣社員としてデータ入力の業務を担当していたんですが、偶然にも前職勤めていた会社の人事がプロトソリューションで人事をしていて、「ここでチャレンジしてみない?」と声をかけてくださったんですよ。プロトソリューションがどんな会社なのか分からない状態でしたが、前職で信頼していた方からのお誘いだったので、応募することにしました。
その時も特に希望の部署はなくどこでも良かったんですが、丁度コールセンターが立ち上がって間もない頃で人員も募集していたこともあり、コールセンター部に配属。契約社員からのスタートでした。
ーーーコールセンターでの業務内容は?
BPOを中心とした入電・架電といったオペレーションを担当していました。具体的にいうと健康食品の通販、セールスの電話、資料請求をしたお客様へ契約を取る電話といったものです。扱う商品が何社もあってやりとりする人も多く、当時はかなりハードでした。
営業電話をかける際、お客様に都合が悪い時間だったりすると怒鳴られることもありました。結構ヘビーでしたね。。
ーーーそれでも続けられた理由はありますか?
仲間がいたからですかね。
コールセンターという部署が出来たばかりなので大変なことは沢山ありましたが、一緒に働く仲間との関係も良かったですし、辛くても一人じゃないというのは大きな支えになりましたね。
ーーー仲間の存在は大きいですね。そこからのキャリアはどうでしたか?
入社してオペレーターを2ヶ月くらい経験させてもらってから、すぐにリーダーの話を頂きました。当時のコールセンター部はまだまだ成長過程にあって、やる気があれば何でもチャレンジさせてくれたんですよ。そこでチャンスを頂いてチームリーダーを半年間経験させてもらいました。
その活躍が評価されて、新しい業務の立ち上げメンバーとして東京出張へ行くことになりました。IT関連商材の契約をテレセールスでとるもので、その業務の一部を請け負ってやっていました。立ち上げた後は業務を巻き取るというミッションがあったのでお客様のところに1ヶ月常駐しました。
ーーー入社して半年で東京常駐の経験をされたんですね
はい。そこで社長(プロトソリューション代表取締役)と初めて話しました。
社長と話すことなんてあまりなかったので、この機会に自分を知ってもらうために猛アピールしたのを覚えています(笑)。それからドライブや食事に連れて行ってもらうなど、社長と話す機会が増える中で「自分は期待されている」というのを凄く感じて、「これは頑張らなきゃ!」と思って取り組みましたね。
そこから正社員登用試験を受け、晴れて正社員となりました。
自分以外を信用しているから安心できる。いい意味で“他責”
ーーー入社2年半で責任者という異例のスピード出世となりましたが
自分の中で特別「責任者はこうあるべき」みたいなものも分かっていなかったし、考えてなかったんですけど、お話を頂いたからにはやるしかないと思ってお受けしました(笑)。
ただ、全く何も考えずに受けた訳ではなくて、何か選択を迫られた時に前職の上司から頂いた「遅かれ早かれやるなら、早くやれ」という言葉に従って決断したんです。
ーーーそれはまた大胆というか思い切りましたね。
個人的には、チャンスが回ってきた時は「とりあえずやってみる」でいいと思っているんですよ。よく聞くのが「自分にはまだ早い」とか「そのレベルに到達してから」とかあれこれ考え過ぎてしまい、結局チャンスを逃してしまうパターン。そのレベルに到達するのが例えば3年後だとしたら、その間にも新卒や中途が入社してライバルが増えることになるし、今やって失敗するのと3年後失敗するのとでは大きな差が出てきますからね。「あの時受けていれば。。」みたいな後悔はしたくないし、大事なのは今。
今時点で簡単じゃないから「挑戦」なんだと思います。
ーーーそういった挑戦する気持ちはどこから出てくるのでしょう?
2つありまして。まず1つは、僕のスタンスとして「人生一度きり」というのもの。
チャンスは巡ってはきても自分で掴み取ることってあまり無いと思うんですよね。というか目の前にきても気づかないことが多い。でも「人生一度きり」という気持ちで過ごしていると、何が「チャンス」なのか?というのが何となく分かるというか。それに気づいたら後はポジティブに考えるだけですね。
2つ目は「周りを信頼すること」です。
リーダーも東京常駐も責任者の話も、僕がやらなくても誰かがやるだろうし、僕がやって失敗しても僕より優秀な誰かがカバーできる。そう考えると、自然と「チャレンジしたほうがいいよね」って。
どちらかというと、僕は自分より周りを信頼していたのかも知れませんね。
ーーー人を信じられる力が挑戦を後押ししているんですね。責任者としてぶつかった壁はありましたか?
当時コールセンター部は大赤字でした。仕事は増えているのにどういう訳か赤字が出ている。スタッフの皆が頑張っているのに、その頑張りが数字に現れていないのがとても悔しかった。そこで黒字化という目標を立てました。
赤字の原因を探ると、オペレーションの単価が見合っていなかったり、非効率な運用で残業が発生して人件費が嵩んでいたり、原因がいくつもあったんです。
その原因を改善する時間もなく損益を合わせるために数字ばかりを追ってしまい、気づいたら人を蔑ろにした組織運営をしてしまっていました。
さらにコミュニケーション不足で現場からの報連相も上がってこなくなり、僕やマネージャー陣が知らないところで事故が起きたりと、かなり大変な時代もありました。
現場との距離がどんどん離れていって、このままいくと組織崩壊は免れないと感じたので、リーダー陣を集め改善策を立てることにしました。まず組織を管理するマネージャー陣に現状理解と課題に対しての共通認識を持つことから始めて、次にチームリーダー、オペレーターへ面談を通して認識合わせを行っていく。働いているスタッフ一人一人が一緒になって仕事をしているという意識にしていきました。
そうして現場との精神的な距離は、部署の課題を個々へ共有することで改善されていき、そこから数字の見直しをしていって黒字化まで持っていきました。
ーーー周りを信じていたから成し遂げられたといえます。その後、部門を離れ取締役として子会社へ行くことになりますが、当時の心境は?
コールセンター部で責任者として組織運営と黒字化を経験したこともあり、不安よりもワクワク感の方が大きかったですね。
ここでは「どんな課題があるんだろう?」とか、以前よりは肩の力も抜けて余裕が出てきたといいますか。組織運営はもちろんテクニックも必要だけど、本質は「人を巻き込んでチームをどうやって動かすか?」なので、結局は人だなと思っています。そこは役員になっても変わらない部分ですし、コールセンターで得た経験値を子会社という新しい環境で試せるのは、僕にとっての新たな挑戦なのかなって思っていましたので。
やりたいことは、選択肢が増えないと見つからないもの。若いうちはたくさん挑戦したほうがいい
ーーースタッフと話す際に意識していること、大切にしていることは? 価値観は人それぞれ違うことを前提に接することですね。自分の考えを押し付けたりせず、相手の意見を尊重するように意識しています。こう見えて僕は、人の心を読むのが得意なんですよ。空気とか(笑)。
ーーーやりたいことが見つからなくて悩んでいる学生が多いと思うのですが、アドバイスをください!
やりたいことが見つからない。僕個人的にはそれでいいと思っています。
若い段階で自分の特徴を理解している人って少ないんじゃないかな。履歴書の自己PR欄にも、振り絞って書いている(埋めている)人が多い気がします。もちろん就職活動をするにあたって自己理解は必要ですしそれ自体を否定する訳ではないですが、やりたいことって案外やってみてから見つかることの方が多いので「とりあえずやってみる」で良いと思います。そのためには何でも興味を持つこと。そして「主体的」に「楽しんで」やること。
やってみて経験を積めば、おのずと選択肢も増えていきます。何事も早く経験してチャンスを掴んでください!
(インタビュー:小嶺節子 / 文・撮影:福田聡樹)