沖縄のド田舎から飛び出し、エンジニアの仕事を経てたどり着いた将来の夢

REPORT
2022.12.19

プロローグ

はじめまして。
株式会社プロトソリューション沖縄本社のIT部門で人事を担当している山城と申します。
現在は、採用活動を中心に、人の事に係わる業務を行っています。
元々はシステム開発・保守の仕事をしていた私が将来ライフワークとしたい職業とプロトソリューションに出会い、「人事」というチャンスを頂いたことについて綴りたいと思います。

自己紹介・略歴

私は沖縄県本島の北に位置する「国頭村」、なんと面積の95%が森林という自然豊かな土地に生まれ育ちました。
そう。2021年に世界自然遺産に登録された「やんばるの森」がある地域です。
実家は商売を営んでおり、忙しい両親に変わって幼少期から兄弟や自分の面倒を見てきたため、人に助けを求めたり甘えるという事が苦手なのはそんな背景があるからではないかと思っています。
小学校高学年から高校までの約8年間はブラスバンド・吹奏楽部に所属。マーチングも経験しました。
高校卒業後は地元にある大学に進み、その後、1社目となるIT企業へ入社します。
それから2社ほど転職しますが、これが最後の転職という思いで4社目にプロトソリューションへ入社しました。

趣味は旅行、読書、ラテンダンス(始めてから約20年)ですが、
特にラテンダンス(サルサ)との出会いは、その後の私の人生における人間関係や価値観を大きく広げてくれた出会いだったと言っても過言でなないほど重要なところに位置しています。
どこからともなく(カルディーとか)ラテンのリズムが聞こえてくると瞬時に気持ちが高揚し自然と身体が動き出します💃

※ダンスイベントに向けた練習風景

大学時代と就職活動

私は地元の大学へと進学しますが、小中高と部活動が中心の学生時代を送ってきたため、大学では学ぶことに時間を使おうと特定のサークルには所属せず、デートも図書館で勉強という真面目な学生時代を過ごしました。
そして、初めての就職活動の時期がやってきます。
その当時はダイヤルアップ接続のインターネットが普及しはじめ、
将来的には在宅で仕事をする時代が来るという記事を新聞や雑誌でも目にするようになった頃でした。
経済的な自立と精神的な自立を目指していた私はエンジニアを職業にすることを決意します。

そして、時代は就職氷河期。
今でこそあり得ないのですが、「男性のみ応募可」という求人もあり、社会は働く女性にとっては厳しいのかと悔しい気持ちになったこともありました。
そんな中、私は運よくIT企業から内定を頂き、無事にエンジニアとしてのキャリアをスタートさせます。

※キャンパス(図書館前)

エンジニア時代

私が就職した会社は、毎年新卒を約200名ほど採用し、東京郊外に研修施設や社員寮も完備している立派な企業でした。

研修内容も充実しており、 プログラミングやチーム開発の研修だけでなく、英語や簿記の研修もあるなど エンジニアとして総合的なスキルが身に着けられるようなカリキュラムが用意されていました。

落ちこぼれそうになりながらも同期に励まされ、なんとか無事に4ヶ月間の研修を終え大阪支社へと配属。
そこでは約2年ほどLotusNotesというアプリケーションの開発・保守に携わりその後は、VB(Visual Basic)とOracle、PHP、JavaScriptを使った開発を経験しました。
案件としては、半導体(レチクル)などの製造を管理するシステムや製薬会社のMR向け支援システムなどを担当したのでその業種についての基本的な知識も身に付きました。

当時は23時の最終電車の時間まで仕事をし、駅から寮までの間にあるコンビニでショーツやストッキング(洗濯する時間がないため)と栄養ドリンクを買い、寮で同僚と集まり3時ごろまで設計書やコードを書いては、朝は7時に起床・出社、9時から仕事開始し23時の最終電車…(以降ループ)という働き方をしていました。
体力的にも精神的にもつらい時期ではありましたが、この経験が私を成長させてくれたと思っているため、振り返ってみるとエンジニアのキャリアの中では一番輝いていた時代でもあります。

今後について考える

そんな働き方だったため、私の同期の数名は早々にIT業界に見切りをつけ転職していきました。
転職先は教員や、公務員。モノレールの運転手や、警察官になった人もいます。

私はその後も約10年ほどシステム保守を中心にITの仕事に携わり続けますが、
常に同期のような華麗なる転職を思い描いていました。

「キャリアコンサルタント」をライフワークに

私は技術面において優秀なエンジニアではなかったのですが、 どんなお客様とも良好な関係を築くことができたためフロントに立つ機会を多く頂きました。

そこで私は過去を振り返りながら、自分をこう分析しました。
・仕事上で人と関わることはどうやら得意(相手の癖が強ければ強いほど燃える)
・そういえば子供のころから何かと相談されやすかった(仕事や恋愛などの悩み)
・それこそ、旅先で旅行者から道を聞かれる(そこへの行き方、私も知りたい)
・困っている子供は、大勢の大人の中から私を見つけ出して助けを求める(迷子)
きっと私は相手を警戒させず、話しやすい雰囲気を持っているのだろう。(あくまでも主観)
そんな生まれ持った特徴は存分に活かしたい。
そうだ!人の相談に乗るようなことを仕事にはできないだろうか。
けれど、そういった訓練は受けていないしもちろん学んだこともなければ資格も持っていないし…

と、かなりのこぎつけでなんとも安易な考えを巡らせていました。
もちろん何の進展もなく、そのままシステム保守の仕事を続けていましたが、ある外資企業で働いていたとき定年退職後も嘱託として働き続ける方が少なからずいることを知りました。
そういった気力も体力もある優秀なエンジニアの知識や経験を、次世代のエンジニア育成に生かすための活動はできないだろうか。

そう考えるようになりました。
調べてみたところキャリアを手助けする「キャリアコンサルタント」という職業に辿り着きます。
全くエンジニアに向ていない(と思っていた)私がこの仕事を長く続けたことに意味を見出したかった。という事もありますが、この仕事(キャリアコンサルタント)なら私の特徴とこれまでのエンジニアとしての経験が活かせるのではないか!?

プロトソリューションへ入社

そう思い、エンジニアに特化したキャリコンサルティングをライフワーク にしようと決意。
そのためにはもう一度しっかりとエンジニアの仕事に携わろうと、自社メディアをもち自社で開発をしているプロトソリューションへの転職を決めます。

入社してすぐにIT部門の部長と面談があり、その中で「山城さんの夢は何?」というご質問を頂きました。会社とは関係なく個人の夢だったのですが、「将来的にはITエンジニアに特化したキャリアコンサルティングをライフワークにしていきたい」という思いをお伝えしました。

それから1年後。「部門人事」という機会をいただき、現在に至ります。

※新卒向け合同説明会にて、人事お揃いでグーネットTシャツを着用

エピローグ

長々と綴って参りましたが、新たなキャリアをスタートさせる機会を頂けたことは幸運としか言いようがなく、挑戦させてくれる社風は本当なんだと入社1年目で実感しました。
未経験の分野で使い物なるかどうかもわからない私にチャンスを与えてくれた当時の部長(現・沖縄IT部門役員)には心から感謝しており、ガッカリだけはさせたくないという思いで業務に励んでいます。

私の挑戦はまだまだ続きますが、足元(知識)から固めようとキャリアコンサルタントの資格を取得し
併せて部門のメンバーの役に立てるような知識習得のための資格試験にも挑戦中です。

プロトソリューションはやりたいことがある人にとってはとても面白い会社です。
少しでも気になった方はぜひ、私までご連絡ください。面談致しましょう★
お待ちしております。

プロジェクトマネージャー

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